戦後、鳴門で先代がソースづくりを始めた。もとは徳島市内でお酢の製造を兄弟でしていた。家業は兄が継いだため、次男だった先代は家を出て独立。鳴門で造り始めたのは、お酢ではなくソースだった。「これからは洋食の時代」と見越し、家を借り、無一文から始めた。材料に酢を使うとはいえ、酢とソースの作り方はまるっきり違う。原材料をブレンドし、蒸煮させて撹拌する。温度管理などきっちりやれば、それほど技術はいらない。だが、その配合の割合が難しかった。割合が違えば風味がまるっきり変わる。試行錯誤の繰り返しだった。こうして配合の割合を変えることで、お好み焼きやとんかつに適したソースが生まれた。
徳島県は、四国の中でもお好み焼きが盛んで、店舗数も多かった。また、天ぷらにソースをかける文化もあり、ソースづくりも盛んに行われてきた。最盛期にはソース組合なるものもでき、定期的に集会なども開かれていた。だが巷のお好み焼き店は高齢化を理由に次々と廃業。ソースの製造業者も高齢化になり、後継者も見つからないというところが増え始めた。そんな折、組合で顔みしりだった業者からうちのソースづくりを引き受けてくれないかと頼まれるようになった。徳島市内の「ヒトミソース」や香川の「ホームランソース」は、地域に根差したソースである。慣れ親しんだ顧客のために、当社がそのブランドを引継ぎ、今も守り続けている。
創業から70年以上経ち、当時のソースからは少しずつ変化している。健康志向の時代になり塩分を控えたり添加物も少なくしている。とんかつ・お好み・激辛おりソースと種類も増え、又厳選した国産野菜・果実に天然調味料を加え化学調味料、甘味料、着色料無添加のソースもラインアップしている。
ウスターソースは創業以来こだわりの製法を守り続けている。
野菜エキス、パウダー、香辛料抽出物を一切使わず野菜ピューレ、香辛料をまるごと使い日にちをかけて沈殿させ熟成した上澄み液を製品にしている。 又原材料は価格から入らず品質を最優先に考えて仕入をし納得できる製品をお客様にお届けすることを基本理念としております。 その分、商品価格も上がってくる。それでも毎日、食卓に並ぶものは安心して美味しく食せるものがいいと、リピーターは順調に増え続けている。